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ベストグループ見聞会御講話集「21世紀を幸せに生きる」

衣川晃弘大先生の見聞会講話集「21世紀を幸せに生きる」第8巻より

2015年(平成27年)12月12日 ベストグループ中国・四国地区見聞会 ②

小さい時の生き方で人生が決まるのです。父が大好きな方は社会性があると言われます。父が大好きな方は会社の批判をせず、周りの方の批判もしません。ですから、父が大好きな方は「社会や政治が悪い」とか「経済が悪い」と批判しないのです。ところが父が嫌いな人は「社会が悪い」「政治が悪い」とか「経済が悪い」と言う方が多いと思います。父が大好きな方は目上の上司を批判しないのです。だから父が好きな方は、社会に出ても社会や会社を批判しないのです。批判しないから人から受け入れられるのです。

母が大好きな方は優しさがあるのです。だから、自分よりも苦しんでいる人がいたら優しくするのです。父が嫌いな人は社会性がないから、仕事をしても長く続かないのです。会社に勤めても上司から嫌われるのです。会社や上司の批判をするので会社からも嫌われるのです。社会性がない方はあまり上手くいかないかも知れません。

「三つ子の魂百まで」「雀死ぬまで踊り忘れず」と言われるように、子供の人生は三歳までの母親の育て方と六歳までの父親の生き方を見て、人生が決まるのです。「どうして僕は上司に対して反発するのだろうか」とか、「男性を見るとなんとなく反発したくなるのはどうしてだろうか」とか、「なぜ僕は人を批判するのだろうか」と、よく自分を振り返ってみて下さい。それは、あなた方の小学校一年生までの生き方で人生が決まったのかも知れません。

私は母に捨てられたという記憶がありますので、心が傷つきました。しかし、育ての親によって命の存在や人格の大切さをずっと教えられました。それはその後の私の人生にとても大きな役に立ちました。ですから、私は育ての母には感謝をしていますが、どことなく女性を見ると、何か心が許せないという時期があったのです。結局は幼児体験で人生が決まっていくのです。あなた方の幼児体験は何だったのですか。それがあなたの人生の一生を決めていくのだろうと思います。

私は会社に勤めても、上司からかわいがって頂きました。上場会社でした。二年半で係長をさせて頂きました。四年目に「本社の経理の責任者に来ないか」というお誘いがありました。しかし、私は「サラリーマンは素晴らしいけれど、人生は上司によって決まる」と考えました。

大きな会社は上司によって人生が決まるのです。小さな会社は社長によって人生が決まるのです。ですから、「人生を人に左右されることは自分にとってはつまらない。自分で社長をやってみよう」と思いました。私はお金儲けをしようと思って独立をしたのではありません。「一度しかない人生を有効に使いたい」と思っただけです。

当時、私は支店長の次に良い額の給料を頂いていました。でも、妻は「独立しても良いわよ。一度しかない人生だから、思い切りやってみたら」と言ってくれました。妻が素晴らしかったのです。私が小さい時はお金ではなく、命と人格が一番大事だという時代で育ったのです。

私はお金のために独立をしたのではありませんでした。「この仕事を通して日本の方々のお役に立つ仕事をしよう」と思い、サラリーマンを辞めて独立をしました。物の考え方が良かったので、独立をしてもやはり成功させて下さいました。「お金を儲けよう」と思って仕事をしたのではなかったのです。そうすると、独立して五年目には、今のお金で数億円の経常利益を得させて頂きました。それを三年続けたら数倍になりました。しかしその時に「お金が入ると心が汚くなったなぁ。僕は自分の仕事に誇りが持てない。この仕事を引退したい」と言いました。妻は「良いわよ」と言いました。

私はお金に心を売ることが嫌いだったのです。育ての母は「お金に心を売ったら終わりやで」と教えてくれました。お金に心を売った方は失敗している方が多いではないですか。お金のために人生を台無しにしている方が多いではないですか。「お金、お金」と言う方は、良くないことをしている人が多いのではないですか。

私は、少しは心が浄(きれ)いだったように思います。私は自分の仕事に誇りが持てなければ仕事ができないのです。たとえお金持ちになったとしても、お金儲けをすることに罪悪感がありました。「この仕事が本当に社会の役に立っているのか、自分に誇りが持てる仕事なのか」を考えました。ただ生きるためだけに仕事をするのではないのです。

同じ仕事をするならば、仕事に自信と誇りを持ちたいのです。だから、独立して最初に作らせて頂いた会社の社長を引退して、三十五歳の時に新しい会社を作らせて頂きました。「今度の会社は人格者を育てるような企業を作りたい。企業を通して人育てをしたい」と思いました。その会社の社訓は「企業とは国に代わって国家の中堅人財を育成することなり」と作らせて頂きました。国の柱になる人を育てることが、本来企業の目的であると思いました。

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